娘と長電話することがあるんだけど
とにかく
じっくり
聴くことに徹する。
自分は子どものとき
悩みを親に相談したりしたことはなかった。
何故かわからないけど
そういう子どもだったのだ。
(でも、私は自分の両親を尊敬しているし
ありがたいと思っている)
だから
子どもが、自分に、心のうちを
ちゃんと話してくれるっていうことが
すごいなあと思う。
自分が、じゃなくて
話してくれる人が、すごい。
自分は、誰に話を聴いてもらってきたか。
ありがたいことに
自分の苦しみや悩みを
心から聴いてくれる人が
いつも与えられてきた。
自分が聴く立場に置かれた時には
自分がしてもらったように
全身全霊で聴きたいと思う。
聴き手として、足りないことだらけだと思うけど
それでも、祈りながら聴く時に
神さまは働いていてくださっていると感じることがある。
電話の向こうの声が
軽くなったように変わる瞬間があるのだ。
いま、読んでいる本。
「聴く」ことの力
臨床哲学試論
鷲田清一著
阪急コミュニケーションズ発行
1999年初版の本。鷲田さんはやっぱり素晴らしい。
ことばは、聴く人の「祈り」そのものであるような耳を俟ってはじめて、ぽろりとこぼれ落ちるように生まれるのである。苦しみがそれをとおして現れ出てくるような《聴くことの力》、それは聴くもののことばそのものというより、ことばの身ぶりのなかに、声のなかに、祈るような沈黙のなかに、おそらくはあるのだろう。その意味で、苦しみの「語り」というのは語るひとの行為であるとともに聴くひとの行為でもあるのだ。
(p165)
しかし
この聴くという祈りの行為
夫に対してはなかなかできないものだ‥。
そんな時はとにかく
美味しい珈琲をしみじみと頂く。
ただ、それに徹する。
それが良い‥。
こんな夜中に鳥の囀りが聴こえる‼️
なんて素敵な夜。
おやすみー🌠
erino*