なぜ、神様はこのような出来事を、私にお与えになったのだろうか。
自分なりに、考えて、それなりの理由をあてはめることが出来ないわけではありません。
しかし
先日、講演を伺った大船渡市の山浦玄嗣(はるつぐ)医師の、著書にこうあります。
「神さま、どうしたら私はこの出来事の中にあなたのお声を聴けますか。
神さまが私に何をおっしゃりたいのかということをわからせてください」
(「なぜ」と問わない より)
大震災のあと、東京の、何人もの人たちから
「神を信じているのに、なぜあなたがたはこのような目に遭ったと考えるか」
と聞かれたそうです。
東北の人たちは、そのようなことを微塵も思わず、懸命に生きているのに、
そのような質問に辟易したと。
なぜ、という問い自体が、極めて悪質の質問であると。
自分におきている出来ごとの中に、神様の声をきくこと。
本当にそうだと思います。
神さま、今の私は出来ないことが増えてしまったけれど、
このような私を、あなたはどのように用いたいと思っておられますか。
あと、一回くらいで、この事故の連載・第一部は完結しそうです。
erino*